下心と強かさ

おっぱい募金を批判してくる声が巷でボチボチ聞こえてくる。

ご存知かとは思うが、おっぱい募金はHIVの啓蒙運動の為に女性が男性におっぱいを揉ませて、募金を集うものだ。
よく批判するのは女性が多いのだが、別に私はそれについて気持ちが悪いとか思ったことはない。

おっぱいを男性に揉ませる当事者たちはビジネスでやっている。純粋なボランティアじゃない。莫大な広告費を省ける絶好のチャンスなのだ。
でも、HIVの啓蒙運動ということは大々的に銘打ってやっていることであるし、その人たちやっている募金ビジネスのおこぼれは私たちにも少なからずあるのだ。

そういうのも募金に協力している彼女たちは性風俗産業に携わる人たちであってそういうものに対しての不安が少なからずあるのだろう。
一方で、携わらない男性女性はひどく無知だし、そんな病気とは無縁だと思っている。むしろ、携わる人間であっても無縁だと思っているのかもしれない。
年々、HIV感染者が増えていく現状でまだそんな意識が抜けないのだ。

それが性風俗産業の一線で活躍されている彼女たちが率先して参加することによって身近に感じることができるだろう、特に男性は。
一度はモニター越しの彼女たちと自分も性行為をしたいと思ったことだろう。もしくは、彼女たちとの擬似的性行為を楽しんだかもしれない。
いつもモニター越しに見ていた彼女たちのおっぱいを一揉みでいいから揉みたいというHIVの啓蒙運動とはまったく違う趣旨で募金に行った男性がほとんどだとは思うが潜在的に頭にはHIVという言葉が残ったのだ。
私はそんなもんでいいと思っている。

動機は不純だろうがなんだろうが、そんなものでいい。

募金は参加すること自体に意味があって、経緯は重要じゃない。
その募金に至らしめることが彼女たちにしかできない方法であって、かつ話題性があったが為に批判されてしまったし、私もそれについてブログに書いている。

よく慈善事業では、できることをやろうとか言っている。

彼女たちは彼女たちができることをやったのだ。
男性もそうだ。
おっぱいを揉むことで大体1000円の募金ができるのだ。

気持ちが悪いという言葉を使うのは募金をした人間にも募金させるために参加した人間にも非常に不名誉だ。

批判をしている人はなんの見返りもなくHIVの啓蒙運動に1000円以上の募金をはたけるのか?
それをやってから少しだけ考えて欲しいと思う。