人間は狂ってる
自分の生きて価値を見出していくために、普通の人が大切にしているものを投げ打つ行為、が目につく最近。
みんな元々、大切なものを犠牲にしていくことで自分の存在の希少性とか見出すものだ。
私もよくある。
社交的だと自負する為に馬鹿みたいにお酒を飲んで健康を対価にしていたり、勝手に一人になったのに孤独を感じては頑張っている自分を演出してみたりするのだ。
そうでもしないと、自分が間違ってることだらけになるから。
世捨て人として生きていく人を見て、かっこいいとか自分もやってみたいだなんて思ったこともあるし。
人間は孤独な生き物だ。
生きていくこと以外に生きていく方法も考えていく。一人一人個性を見つけようと模索する。生まれも死に方も選べやしないのに、その中間地点をいかに飾っていくかを考える。
もしかして、死に方を選ぶ人がいるかもしれないけれど、飾り付けをうまくしたいから死ぬだけで好き好んで死んでることにはならないよね。
世界のどこかでも知らない人間の飾り付けの為に死んでいく人がいる。
自己の存在を確立したりする為に他人の生まれて死んでいく間を勝手に終わらせる。
信じてるくせに確認作業が必要で、自分の信じてるものを信じない人々を殺せば自分が死んでから夢のような世界があることを確認できるのだという。
所詮は自己満足。
この今の人間社会の多数派は自己満足で他人の人生を台無しにするのが悪だということになってる。
だから、彼らは間違ってる。
誰かに認められたくて自爆テロを起こした息子をそんなことをする前に殺したかったという父親がいる。
神が父なのに父は神にならない考えに矛盾を感じる。
親家族友人の幸せを犠牲にして自分の死後の世界を優先させた息子にもね。
神様は見てくれてるの?
勝手にいろんなものを犠牲にして、感傷に浸ったり、悦に入ってる人間に、その対価としてどこか遠くで幸せを保証してくれるの?
クリスマス時期
男性と付き合うということには無縁な生活を送っていました。
男性と身体の関係を持つことは山ほどありましたが、付き合うということに発展しなかったんです。
自分のウソを訂正するのがめんどくさいというか…
一度、そういう甘い雰囲気になり告白されたときは寝たふりをしました。そして、再び告白され、なんというか、「え、あ、うん。」みたいなノリで承諾しました。
今更、めんどくさいなぁ、なんて思いながらどうしようと悶えてる最中です。
やはり人並みにこの時期は寂しいけれど、それ以上にそういう恋愛関係者はとても煩わしい。
人を好きになったことがないんんです。
楽だなぁとか美味しいなぁとかで男性と関係を持っていたもので付き合う関係というものが分からない。
同世代の友人の恋バナを聞くこともしばしばありますが、それも聞いていて煩わしくて。
付き合うってなんだろ。
渋谷
若者のデモの聖地、渋谷。
最近は何かと賑わっている。
私は思う。
異なる意見を出すだけで満足している人間がいやしないだろうか。
今も昔も与党が出した法案にとりあえず、反対する野党がいるわけだ。
具体的な解決案がないまま、批判する。
勿論、そのことを指摘する人間はこれまでたくさんいたろう。
それから学んでいる人はいるのだろうか。
"デモ=参政"ということにはなっていないだろうか。
確かに世論を汲み取る政治は大事だ。
それがなくなれば民主制とはなんぞや、という事態に陥るに違いない。
ただ参政権がある日本に生きてるのにそれを行使しないでデモに固執しすぎてはいないか。
選挙でもないのに大音響で繁華街を右往左往する左翼右翼と呼ばれる人たち。
参政権を持たざる未成年者のデモ。
なぜ、投票率が下がるのか。
なぜ、デモは増えるのか。
デモをしなければ政治は変わらないのか。
意見を述べるだけでそのことに関する取って代わるような革新的な案はないのか。
それすらないのにその案はなくせ、はないだろう。
安保はダメ
原子炉はダメ
なぜ、その法案はできたのか
なぜ、憲法改正はいけないのか
なぜ、その原子炉はできたのか
なぜ、原子炉の事故が起きたのか
利益を追求したゆえに先の大戦は起きた
発展を優先したから原子炉もできた
個々の思想を世界の中心として考えたからテロは起きてる
デモをしてる人は個々の意見であるものを勝手に世論に置き換えてはいやしないか
何が正しいなんてはっきり決められない。
戦争する正義もあれば、戦争をしない正義もある世界だ。
多くの電気の供給することを幸福とするか、発電所の事故で家を失わないことを幸福とするのか。
私たち国民が何を優先してきたのか。
これまでもそれを優先していくのか。
それとも世界の流れで変遷させていくのか。
利益を追求して、住む場所を失う人間があってはならない
戦争で人の命を奪うことはいけない
そんなことは誰だって同じ意見だ。
戦争で死にたくないし、家も失いたくない。
でも電気がないのは嫌だし、愛国心から自分の国が他国から何かされるのはいやだ。
一つ確かに言えるのは民主的政治望んでいるのが国民の多数だということだ。
その多数の中で淘汰されていく少数があって然るべきだと思わなくてはいけない。
個々の意見を行使することが民主政治ではないと思うのだ。
前の話にもどる。
私は政治家が自分の思うように動いてくれなかったから駄々をこねてるようにデモをしてるようにしか見えない。
まるでおやつを買ってもらえなかったスーパーの子供のように感じる。社会は自分を中心に回らない。
私の結論
意見は言うべき。
そして、淘汰されるべき。
淘汰されたことを受容するべき。
矜持とプライド
男の自慢話は2種類ある。
ー持ち物自慢と知識体験自慢だ。
持ち物自慢というのは、年収がこれくらいあって、学歴はこれくらいあって、職業はこれとかそういう感じ。
知識体験自慢は最近ここの美味しいお店に行って誰と会って、どんな話をしたとか。場合によっては世間話にもなる。
正直、持ち物自慢をする男性は変にプライドが高くて会話というものが成立しない。とにかく、自分という存在の肯定をしてもらいたいだけなのだと私は思っている。
…能ある鷹は爪を隠せ、と。
知識体験自慢してくる男性は相手を気遣って話せることが多い。それは話してる側の知識の幅も広がるし、相手も参加できるからだ。
話の伸び代の問題。
どんなに良いオツムをお持ちだろうがお金をお持ちだろうが、そこに至る経緯も分からないままに永遠自慢されても、ネェ?
おこぼれもらえるわけでもないですし、聞きたくない。だからどーした。
私は女ですが、同性にも言えることで。
私もそうはならぬようにと思ったわけです。
以上
初めまして、こんにちは
女、21歳。
この夏、ブログ始めました。
頭の中のことを書くので、日々の徒然的なものはあまりないかもしれません。
面白くもないかもしれません。
ですが、取り敢えずよろしくお願いいたします。